「ジャーナリストの自己満足」
アフガニスタンへの爆撃がはじまってはや2ヶ月半が過ぎた。あの不毛で岩だらけの国土に多くの攻撃目標などないのでは、という当初の予想を裏切り、米軍の爆撃は未だ終わることなく続けられている。(この文章が載る頃には終わっていてほしいと思うが・・・)11月中旬にタリバンがあっけなくカブールから退散し、北部同盟の戦士達が首都入りを果たしたが、それによってアフガニスタン国内に入るジャーナリストの数も飛躍的に増大した。同時に彼等に対する襲撃や殺害も多発するようになり、なかでもロイター通信の2人を含めた4人がカブールに向かう道中で銃殺されたニュースは衝撃的なものであった。タリバン政権下である程度守られていた規律が消滅し、いまや金や機材目当ての盗賊達もが蔓延る状況の中、安全面 においてジャーナリスト達のおかれている状況も一段と厳しくなってきているようだ。
9月11日のニューヨーク、テロ事件の取材から帰ってきた直後に、実は僕にもアフガニスタン行きの話がでていた。しかし周辺国のパキスタン、タジキスタンからのビザを取り、準備もほぼ完了というところで、新聞社の資金不足のためにこの話がボツになった。テロ事件で多額の取材費を投入した直後だっただけに時期も悪かったのだろう。僕としてはおおいに乗り気だったので唇を噛み締めるような思いだったのだが、すでに世界中から多くのフォトグラファー達も現地に入っていたし、彼等と同じような写真を撮るためにわざわざ自腹をきってまで取材に行く気にはなれなかった。そんなことがあって少し意気消沈していたのと、ここ2年以上国外でまとまった取材をせずに鬱積していた欲求不満が重なったことで、以前からあたためていたプロジェクトを遂にに実行しようと決意した。舞台はアフリカ。追ってみたかったストーリがいくつかあるので、来春早々出発できる様に早速準備にとりかかった。
今年のサンクスギビングも、例年のごとく友人のフォトグラファーの家に招かれターキーを御馳走になる。友人の名はステファン、AP通信社のスタッフである彼は、取材経験の豊富な大先輩だ。僕がアメリカに来て駆け出しの頃からの付き合いである。食事が終わり一息ついているところで、僕はアフガニスタンに行きそびれたこと、近いうちにアフリカに行こうと思っていることなどを彼に話しはじめた。話を聞いたステファンは僕に尋ねてきた。
「どうして、そういう危険なとこばかりにいきたがるんだ? 立派なドキュメンタリーなら、ここアメリカやお前の国日本にいたって撮れるじゃないか」
僕はこんなことを答えた。
「そういう危険な状況に置かれた自分がどう対応できるのか、そして納得いく写 真がとれるのか興味がある。。。いろんな経験を積んで報道写真家としてひとまわり大きくなりたいんだ」
僕は今まで南アフリカをはじめ数カ国での取材である程度のことは経験しているが、本当に死を感じるような状況に出くわしたことはない。いつか一度は戦場というものを経験しておきたい、というか、おくべきもの、と考えていた。もともと僕は、ベトナム戦争で活躍した沢田教一のような写真家に憧れてこの仕事を選んだようなものだから、やはりそういう部分が僕のフォトグラファーとしての原点になっているのだ。
危険に身をおいて自分を見つめてみたい。。。そう胸の内を語った僕に、ステファンはこう切り替えしてきた。
「それはお前個人としての問題であって、ジャーナリストとしての使命とは関係無いんじゃないか?」
僕は一瞬はっとさせられた。彼はさらにこう突っ込んできた。
「ジャーナリストの仕事は、世間に伝えるべきものを報道するために、敢えて危険とわかっていてもそういう現場に入るのであって、自分探しをするために現場に出向くのではない」
ステファンの指摘は的をついていた。僕はフォト・ジャーナリストという表向きの仮面を被りながら、実のところは紛争地に生きる人々を踏み台にして、自分自身というものを探し出すために写真を撮り続けているのかも知れない。そしてそれは結局、ジャーナリズムとは関係のない、単なる僕の自己満足にすぎないのではないか。。。
人には誰もが、程度の違いこそあれ、スリルを味わいたい欲求というのがあると思う。遊園地でローラーコースターに乗ったりするのもそんな欲求の一部だろう。報道写真家の中でも、特に戦争ばかりを追い続けるコンバット・フォトグラファーと呼ばれる人達などの多くは、やはりスリル・シーカー(スリルを求める人)的要素が多分に彼等の中にあるのではないかと思う。戦場ほど極端ではないが、動乱期の南アフリカや無政府状態と化したアルバニアなどで、ここボストンでの日常とは全くかけ離れた環境に身をおき、時に危うい橋を渡りながら写真を追っていた時に感じる一種の興奮は僕もよく憶えている。アドレナリンがほとばしり、普段の生活の中ではなかなか味わえない「生の実感」のようなものを感じることができるのだ。
僕は人から「なぜ報道写 真をやっているの?」とか、「どうしてわざわざ危険なところに行きたがるの?」という質問を受ける度に困惑する。写真の持つ力で、第三世界の状況を良く変えることができれば、なんて大それた理想はもっていないし、使命感に燃えているわけでもない。「興奮を求める」自分自身の存在は自覚しているし、結局のところはステファンに指摘されたように、自己の欲求を満たすためにこの仕事をやっているかという寂しい結論に辿り着いてしまうのだ。
ただもしも、僕の撮った写真が、たった一人の人でもその心の中に変化を与えるきっかけになってくれたら、それは嬉しいことだと思う。その一人の心の変化が、何らかの形でその人の人生をより良いものにしたり、または社会貢献につながる芽になるとすれば、僕の写真は単なる自己満足に終わらない、報道写真としての価値を持つことになるのだから。沢田教一の写真が、僕のその後の人生の選択を変えたように、いや、それほど大袈裟でなくても、誰かが僕の写真から何かを感じとり、何かを学ぶことができるとしたら、そこから生まれるものがあるかも知れないのだ。
アフガニスタンで犠牲となったジャーナリストの数は12月7日現在の時点で8人になった。彼等は自らすすんで紛争地に足を踏み入れたのだろうし、生命の危険は重々承知していたと思う。アフガニスタンに行ったのが、自己の欲求を満たすためか、それとも報道者としての使命感に基づくものだったのか、僕にとっては分かりようがない。しかし理由はどうあれ、ジャーナリストとして殉職した以上、彼等の残したものからどんな些細なものであれ、苦しむアフガンの人々の状況をプラスに変えていくような何かが生まれてくることを祈りたいと思う。
(追記)
これまでの数年間、このジャーナルでは、毎月僕が撮影したストーリーの中から印象に残ったものを一つ選んで書いてきましたが、今回はステファンとの会話をきっかけに、僕がどうして報道写真を撮っているのか、ということをあらためて考えてみる機会があったので、それを書き綴ってみました。毎日のこまごましたニュースやイベントの撮影に追われていると、ついつい報道写真家を志した時の正直な気持ちなぞ忘れてしまいがちになります。時折自分の仕事に対して疑問が生まれても、普段はそういうことを深く考えるのを無意識のうちに避けているような気もします。まだまだ積まなくてはならない経験は山ほどあるし、撮りたいものも沢山ある。。。時間ばかりが過ぎていって焦ることが多いのですが、今年は真剣にとりくめるプロジェクトを2つくらいは組んで、納得のいく写真を撮ろう、という新年の決意(?)も込めたつもりです。2002年もよろしく。
