「未来を担う子供達」 (南アフリカ・レポートその4)
夏も終わりに近づき、暑さもそれほど厳しくなくなったある朝、ヨハネスブルグ郊外にある小学校を訪れた。カメラを肩に校庭に出ると、瞬く間に十数人の子供達に囲まれてしまった。その多くは黒人の子供達だが、それに混じってインド人や白人の顔がみえる。 「どこから来たの?」 「なんで写真を撮ってるの?」 「日本ってどこにあるの?」 好奇心旺盛な彼等は、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。歳はみな7歳から13歳まで。まだまだ幼さをとどめた顔つきに、おそろいのこざっぱりとしたブルーの制服がとても可愛らしくみえる。
ここはサクソンウォルド小学校。緑の多い閑静な住宅街にあるこの公立小学校は、アパルトヘイト政権のもと、白人専用学校として1937年に創立された。その人種隔離政策の崩壊と共に、全ての人種にその門戸を開いたのは1992年。今からちょうど10年前になる。 10分間の短い休みが終わり、生徒達がみな教室に戻っていく。僕は廊下を歩きながら、ひとつひとつの教室の様子を眺めていくことにした。中庭を囲むように建てられた2階建ての校舎は、吹き抜けが良く閉塞感が全くない。この日は快晴だったので、明るい陽射しとともに心地よい風が教室にはいってくる。学校としてはかなりいい環境だなと思う。
一つの教室から、そろって単語の発音練習をする子供達の声が聞こえてきた。その発音は、英語でも、ズールーやコサなど黒人部族語のものでもなく、アフリカーンス語の響きであった。17世紀半ばにこの地にやってきたオランダ移民達の言葉が変化して、主にその子孫達の間で使われるようになった言葉だ。南アでは英語と並んで、1925年から公用語として認められている。
教室の入口に一番近い机に、白人と黒人の女の子が肩を並べて座っているのがみえる。どうやら白人の子のほうが教科書を忘れてきたようだ。二人の間に置かれた一冊の教科書を、彼女達は頬が触れあうくらい顔を近付けながら、仲睦まじくシェアしていた。そんな彼女達の愛らしい姿をファインダーごしに覗く僕の胸に、ふと感慨のようなものがよぎっていった。今からほんの10年少し前までは、こんな何気のない微笑ましい光景も、この国においては許されないことだったのだ。。。
校長のウィーターさんの話では、現在この学校の人種比は、黒人がおよそ70パーセント、残り約15パーセントずつが白人とインド人であるという。同じ敷地にはいっている幼稚園の部では、中国系の女の子を1人だけ見かけた。92年に黒人の受け入れをはじめた時は黒人は全体の10パーセントであったが、年々その数が増えていくにつれて、白人生徒の数は減っていった。黒人との共学を良く思わない親達が、次々に子供達を辞めさせてしまったためだ。法律上白人専用学校と謳うことはできなくても、私立の学校なら授業料を高くすることによって必然的に黒人達を閉め出すことができる。サクソンウォルドを辞めていった子供達は、偏狭な人種差別感を持ち続ける親達の意思によって、そういう白人専用の色合いの強く残っている私立学校に転校させられていったのだ。
「子供の誕生日のパーティーに招待できる子とできない子がでてきてしまうでしょ。。。」
子供を転校させる言い訳として、校長にこんなことを言った親があったという。 黒人が入学しはじめた当初はみな違う人種の子達とは隣に座ろうとしなかったし、お互いほとんど口をきくこともなかった。しかし、「2週間もすると、だんだんとお互いのことがわかってきたみたいです。白人も黒人もそんなに変わらないんじゃないかって、そんなことが感じられてきたんでしょう」
黒人は貧しくて何も買うことができない、逆に白人は裕福で欲しいものはみな持っている、そんなふうに信じていた彼等が、少しずつ会話をするようになるにつれてお互いに対する先入観が必ずしも正しくないことを実感していった。黒人の子供達は、白人の子供達がみな専用の大きな寝室とベッドで寝ているわけではない、ということを悟り、白人の子供達は黒人達がみな陰湿な暗い部屋で雑魚寝をしているわけではない、ということに気付いていった。そのような誤解が解けるにつれて、 お互いを隔てていた垣根は自然に取り払われていったのだ。
「現在ではもう子供達にとって、肌の色など関係ないようです。他の子供について話す時、彼等はもう、あの黒人の子、とか、あの白人の子という言い方はしなくなりました。肌の色というのは彼等を区別する基準ではなくなってしまったのでしょう」
サクソンウォルド小学校の子供達を見ていると、南アの明るい未来が垣間みえてくるようである。しかし忘れてはならないのは、南アの子供達がみなこのような環境のもとで教育を受けている訳ではないということだ。サクソンウォルドに通う黒人生徒達の多くは、白人家庭のメイドの子供達や、郊外に身を置くことのできる中流以上の家庭の子供達である。タウンシップに住む子供達の大部分は依然として設備も乏しく教育レベルの低いタウンシップ内の学校に通わなくてはならないのが現状なのだ。
前号までに述べてきた失業者問題やエイズ問題に加え、政府は、設備投資、教員の質・量 の増強といった教育問題についても真剣に取り組んでいく必要があるだろう。子供達こそが、これからの南アの将来を背負っていく中心的存在になるのだから。。。そして、サクソンウォルドの生徒達のように、人種差別とは無縁の環境で育っていく子供達が国を動かしていく世代になって、ようやく南アはアパルトヘイトの呪縛から真に解き放たれるのではないだろうか。(終)
