「リベリア ー 前線に生きる子供達」
「昨日は3人殺した・・・」まだあどけない顔をした男の子の口から出たこんな言葉に僕はショックを受けた。バニーという名のこの少年は、政府側民兵として戦う少年兵士。まだ10歳だ。既に首都モンロビアと郊外をつなぐ橋の向かい側まで迫ってきている反政府軍を相手に、政府軍は数日に渡って戦闘を続けていたが、その戦いの最前線で彼は地面 に敷かれた汚れたスポンジ・マットレスの上で身体を横たえ休息を取っていた。カメラを向けられて照れくさそうな笑顔を見せならも、この少年の小さな手にはAK47ライフルが握りしめられていた。
一般的に民兵達は少年兵の写 真を撮られるのをとても嫌がる。政府や軍にとって、年端のいかない少年達が戦闘に参加しているという事実は誇れることではないし、人権団体や国際世論からの非難をかわすためにも、こういった光景はあまり大っぴらにすべきではないことくらい彼等にもわかっているからだ。少年兵の中には、目立ちたがりやでカメラに向かってポーズを取ったり、写 真を撮ってくれなどと近寄ってくる者も少なくはないのだが、そんな様子が見つかると彼等の上官がえらい剣幕で僕らにも噛み付いてくることになる。
バニーを見かけた時もそうだった。マットレスに横たわる彼自身はカメラを向けられても、はにかみながらまんざらでもない様子だったが、すぐに目上の兵士がやってきて僕らを制した。結局同行していたカメラマンがバニーと二言三言を交わしただけで、それ以上彼のことを知ることはできなかった。
殺した、といっても、敵側に向かってやみくもにマシンガンを撃ちまくっているような戦い方であるから、バニーが実際に昨日3人殺したかどうかなど分かりようがないはずなのだが、単に背伸びをして言ってみたのかも知れない。それでも彼のあまりにも無邪気な笑顔と、その言葉の冷酷さのギャップに僕は言いようのない違和感を憶えた。
過去15年に渡って続けられた内戦は、リベリアにバニーのような少年兵を1万人以上も生み出した。その中には銃を持って戦う以外に、性奴隷としても駆り出された少女兵達も含まれている。何故こんなに多くの子供達が前線に身を置かなくてはならなくなってしまったのか・・・多くの少年、少女兵士達は農村部の出身だ。農村部での生活はもともと貧しい上に、地域が戦闘に巻き込まれるとその状況は一層悪くなる。特に親が殺されたりして孤立してしまった子供達はその日の食事にも事欠くという生活を強いられるようになるが、そんな子供達をターゲットに、民兵のグループが少年達をリクルートしていくのだ。命令に従順な少年達は、前線で戦うこと以外にスパイやメッセンジャー、給仕などとして使われるが、少女達はそれ以外に性奴隷として扱われることもある。子供達は難民キャンプなどから時には半ば強制的に連れさられ兵士にさせられることもあるが、兵士になればそれがほんの僅かなものであるとしても、幾ばくかの食事にはありつけるし、武器を持って自分の身を守る「力」を手に入れることもできるために、自ら志願する子供達も少なくはない。
s 僕がリベリアを発った翌週、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の平和維持軍がリベリア入りし戦闘は一旦下火となった。その後テイラー大統領の辞任に続き、待ち望まれた米軍が上陸したことで完全和平への期待が高まったが、米軍は食料や燃料ルートの警備等に従事したあと、2ヶ月も経たないうちに早々と撤退してしまった。深入りはしたくないが、次期選挙を考えると国内の黒人勢力を無視できないという立場にあるブッシュ大統領にとって、とりあえずは派兵しましたよ、という体裁を作っただけで、そこには真にリベリアの平和維持に協力しようという意図はみられない。近隣する西アフリカ諸国の間でもアメリカ軍の早期撤退によって、再び戦闘が始まってしまうのではないか、という懸念が高まっている。
程度の差こそあれ、武力抗争の起こる国に暮らす大人達にはその争いの原因に対してなんらかの責任があるといえるだろう。戦闘に対して直接的には無実ではあるとしても、どんな大人も国の政治や利権争いに関して100パーセント無関係とはいえないと思う。しかし子供達は違う。勝手な大人達の争いに対して全く責任などないのに、彼等はいつも一番の犠牲者となってしまうのだ。難民となる子供達、食料不足で餓死する子供、爆撃や砲弾によって身体の一部や命を失う子供、そしてバニーのように生き延びるために戦いの場に身を置かざるを得なくなる子供・・・。国や時代を問わず、真っ先に戦争の犠牲になるのは社会の弱者である子供達なのだ。
