「内戦下に生きる子ども達」

(道徳と教育活動 2004年7月)

アフリカ大陸の西端にリベリア共和国という国があります。国の広さは日本の3分の1程、人口でいえば日本の100分の3ほどしかない小さな国です。この小国では、去年まで15年近くにわたって内戦が続けられていました。僕は昨年の7月に、この国でおこっている内戦を取材するため、リベリアの首都であるモンロビアという街に滞在しました。それは、政府軍と、大統領を追い出してあたらしい政府をつくろうとする反乱軍の間でおこなわれていた戦闘が一段と激しくなってきた時でした。

ある日の午後、「ドーン、ドーン」と、まるで大太鼓を百個程集めて一斉に叩いたような地響きとともに、ロケット弾が打ち込まれてきました。反乱軍が街の中心をめがけて撃ってきたものです。数発のロケット弾が、僕の泊まっていた宿のそばにある難民キャンプのなかに落ちたようです。そこには戦争のために家を追われてテント生活をしている何百人もの難民の人たちが住んでいました。

現場にかけつけた僕の前にひろがっていたのは、眼を覆いたくなるような光景でした。頭の吹き飛ばされてしまった男の子、内臓の飛び出たおばさんといった惨たらしい死体が散らばっていたのです。近くで、一人の女の子が天を仰ぎ、大声をあげて泣いています。彼女の眼の前には幼い男の子が血だらけになって息絶えていました。それは彼女の幼い弟だったのです。

僕は戦いの前線にもよく足を運びましたが、そこで僕が出会ったのは、多くの少年兵達でした。歳にして10歳から15歳くらいでしょう、そんな幼い男の子達が、自分の背丈ほどもある銃をもって戦っていたのです。その一人に10歳のバニーという少年がいました。「パパパパッ」というマシンガンの銃声が響き渡る前線の建物の陰で、彼は汚れたスポンジのマットレスのうえに寝転がって休んでいたところでした。彼の手にはAK47というライフル銃が握られています。バニーが戦いのときに使うものです。彼は言いました。「昨日は3人殺したんだ。。。」彼のこの言葉が本当のことなのかどうかは分りません。しかし、とても無邪気で可愛らしいバニーの笑顔と、彼のこの言葉の印象があまりにもかけ離れていて、僕はショックを感じてしまったのです。

長年続いた内戦は、リベリアにバニーのような少年兵を1万人以上生み出しました。彼らの多くは貧しい農村部の出身ですが、戦争のため両親が殺されて孤児になった子を大人の兵士が勧誘したり、ときには無理矢理さらってきたりして兵士にしてしまうのです。身寄りのない子ども達にとっても、兵士になれば少しは食べ物にもありつけるし、貧しい田舎にいるよりはましだと、自分から志願する場合もあります。

戦争とは一体何のためにするのでしょうか?実際に戦争を起こす大人達は、国民の生活を良くするため、などと綺麗ごとをいいますが、本当に戦争をすることによってみんなの生活がよくなるのでしょうか?戦争のために、リベリアではもうずっと学校が閉まったままです。子ども達はクラスの仲間といっしょに勉強したり、遊んだりすることもできません。難民となって飢えに苦しむ子もいれば、バニーのように生き残るために兵士になったりする子もいます。ロケット弾で弟を殺されてしまった女の子や、少年兵のバニーは戦争が終わって本当に幸せになることができるのでしょうか?

この文章を読んでいる小学生のみなさん、自分の町で戦争がおこったらどうなるか想像してみて下さい。人が殺しあう戦争というものは、どんな理由があっても「悪いこと」であり、どんな問題でも、話し合いで解決するべきだと僕は考えます。あとにいくら平和がやってきたとしても、あの女の子の弟や、少年兵達の両親たち、また、バニーが彼の銃で殺してしまった人達は二度と戻ってこないのです。戦争で殺された人の遺族も、反対に殺してしまった側の人間も、ともに一生心や身体の傷をおって生きていかなくてはならないのですから。