「戦争を『他人事』ですませないために」

(教育評論 2004年4月)

イラク戦争開戦から数日後、僕は従軍していた部隊の夜営地で、バーモント州の出身だという一人の兵士と出会った。兵士の多くが西部や中西部出身者であるこの部隊で、ニューイングランド地方の出身ということが珍しかったので、僕らは少しの間立ち話をしたのだった。僕がニューイングランドのボストンから来たと知って、彼も驚いていたようだ。

マーク・エブニンという名の彼はまだ21歳、といっても大部分の海兵隊員は18から23歳くらいの若者達なので、彼はちょうどその平均に近い年齢だが、穏やかな口調が彼を実際の年齢よりも落ち着いて見せていた。僕らは記憶に残るほどとりたてて意味のある会話はしなかったと思う。ただ、マークがスナイパー(狙撃兵)であったことは僕の心に強く残っていた。狙撃兵というものは、技術に長けた一匹狼的な印象があったので、職人気質が好きな僕にとっては何となく一目置くような存在だったからだ。 バックパックに荷物を詰め込み、夜営地から出発する準備をしていた彼にカメラを向け数枚シャッターをきったあと、軽くいい合って僕らは別 れた。 「Iユll see you around...(じゃあまたね。。。)」

それから9日後、その部隊は、バグダットの南東にあるクートという町で市街戦をおこなっていた。防弾ベストの下に着ていたティーシャッツがすぐに汗でぐっしょりになるほど、陽射しが強く湿気の多い日だった。 「パパパパンッ」と乾いたマシンガンの音が通 りに響きわたり、数百メートル離れた数カ所からは黒煙があがっている。道路にうつ伏せになり狙いを定める兵士や、投降してくるイラク人達にレンズを向け撮影していくが、この日はじめて、戦闘によって負傷した海兵隊員を眼の当たりにすることになった。銃で撃たれたという二人の兵士が手当を受けていたが、どちらも命に別 状はないようだった。肩を撃たれた兵士の傷口に当てられたガーゼは、なんとビニール・テープで固定されており、さすがに戦場だなあ、などと変なところで感心してしまう。しかし彼等が無事救護ヘリコプターに乗せられ運ばれていくのを見届けるまで、僕は撃たれた兵士が実はもう一人いたことに気がつかなかった。あとになって他のジャーナリストから聞いた話では、腹部を撃たれ、この2人に先駆けて運ばれた兵士がいたというのだ。

翌朝、出発の準備をしていると、親しくしていた中尉が飲料水のはいったポリタンクをもってきてくれた。僕らの水筒に水を注ぎながら彼は誰にともなく話しだした。「昨日撃たれた兵士達のうち、一人は駄 目だったようだ。。。」同情の言葉とともに、僕は尋ねた。「あの腹を撃たれた兵士のことだろう。君の部下だったの?」「いや、名前は分からない。狙撃兵だといっていた」「狙撃兵!?」

不幸なことに僕の悪い予感はあたっていた。その日の午後、それがマークであったことが確認された。自分が個人的に関わりをもった兵士が戦闘で命を落としたのはこれが初めてだった。たったの9日まえに握手をした時の彼の手のぬ くもりを思い出す。僕があのとき撮った写真が、マークの21年の人生最後のスナップとなってしまった。

クートでの戦闘の前日、僕は開戦以来はじめてイラク兵の死体と遭遇していた。道ばたに置き去りにされたその死体の浅黒い肌はまるでマネキンのように不自然な輝きを放ち、おそらくは死んだあとに車両に轢かれたのであろう、関節のはずれた両足は蛙のように外側に向かって開かれていた。この屍をみて、はじめて僕のなかに「これが戦争だ。多くの人間が死ぬ んだ」という実感が込み上げてきたのだった。

戦場という場に身を置いていれば、どうしてもその日常は死ととなりあわせになる。それが米兵であれ、イラクの一般 市民であれ、毎日の戦闘でだれかが死んでいく。そして明日はそれが自分自身にならないという保証はどこにもない。

それから数日後のバグダット郊外での戦闘中、突然飛んできた砲弾が、僕のいた場所から道を挟んで20メートル程先に停めてあった米軍の車両を直撃した。爆風で舞い上がった砂埃の中を走って着弾地点にいくと、そこには米兵の屍が一体、地面 にへばりつくように横たわっていた。ほんの5分程前、単に見晴しが良いという理由だけで、僕は道路の反対側から撮影を始めたのだ。もし車両付近に集まっていた兵士たちと一緒にいたら、ここに血だらけになって倒れているのは僕だったかもしれない。。。

だんだんと「死」が日常になってくるにつれて、僕の中に芽生えていた「戦場にいること」の感覚が明確なものとなっていった。それは、身の回りの人間が死んでいく、という悲しみと、そして、次の瞬間は自分も死ぬ かも、という恐怖の混ざりあった感覚だった。

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いまこの現在も世界のいろいろな場所で戦争や紛争が続いている。戦いの原因も様々だ。ただ、僕が確信を持っていえることは、「正義ための戦争」などありえないこと、そして、すべての戦争はなんらかの利権をめぐるものであること、だ。戦争など結局は玩具をとりあう子供の喧嘩のようなもので、その玩具が、単に領土や石油資源になっただけだと思う。民族浄化をうたった戦争にしても、子供が、「あいつは気にいらないから、やっちまえ」というのと全然変わりないのではないか。そして当事者同士はそれぞれ自分達に正当性があると「正義」を主張するが、立場をかえれば良い悪いは逆転してしまうし、万人に対する「絶対的な正義」など存在しないのだ。逆に、人間同士の殺しあいが正当化されてしまうという意味で、どんなに理由づけをしようが、戦争は「絶対なる悪」だと僕は思う。 それでもこの「絶対なる悪」は起こり続ける。戦争を決定する地位にある人たちが、戦争を「感じる」ことができない、ということが、戦争を食い止めようとする最大限の努力を怠ってしまうひとつの原因なのではないだろうか。

国連を無視し、イラクとの開戦に踏み切ったブッシュ大統領や、日本が誇るべき憲法第9条があるにも関わらず戦地への自衛隊派遣を決定した小泉首相は、それまでの人生で、一度でも戦地に足を踏み入れたことがあっただろうか?彼等は戦争の本当の恐ろしさというものを知らないに違いない。戦争を「感じる」ことのできない人たちだからこそ、あれほど簡単に戦争をおこしたり、それに加担することができるのだろう。彼等にとって、戦場は「他人事」なのだ。もしも彼等の息子や娘たちが戦いの最前線にでることが初めからわかっていたなら、果 たして彼等は同じ決断を下しただろうか?

昨年末、僕はイラクで撮った写 真をまとめて日本で出版する機会に恵まれた。子どもにも読んでもらえるように写 真絵本というかたちでつくったのだが、感想をよせてくれた多くのお母さん達が、こんなこと書いていた。「本を見るまで、イラク戦争のことは他人事だと感じていました。。。」

実際に戦場で兵士と一緒に行動をしていた僕でさえ、硝煙の匂い、マシンガンの炸裂音、人間の死、といったような、聴覚、嗅覚、視覚を刺激されてはじめて戦争の本当の恐ろしさを「感じる」ことができたのだ。それを現場にいるわけでもなく、ましてや衣食住に不自由ない生活をしている日本の人たちに理解しなさいというのは酷な話だと思う。多くの日本人達にとって、イラク戦争、いや戦争というもの自体が「他人事」となってしまっているのは無理もないことだろう。しかし、日本の自衛隊員たちがイラクに派遣され、銃を持って任務についてしまったいま、そう呑気に構えてはいられないと思う。

読者の感想のなかに、田舎で小さな本屋を営む女性からのものがあった。彼女のHPで僕の本のことを紹介してくれたという。そこには店先での風景が描かれていた。 「戦争の写真なら、恐いなあ。。と大人のかたで、見もしないで、店先で手にしてやめる人がいる。。。。子ども達は、動物の交通 事故の死骸の写真絵本でも(特に小学3・4年生の子達が)、じっくりと見るのです。いつも事実をまっすぐな目でみていたりするのは、子ども達だったりする」

彼女のいうように、子供達には物事に対する先入観が少ないだけ、事実を素直にうけとめることができるのだろう。そんな子供達に、戦争の恐ろしさをまじめに考えてもらえたらと思う。そのためには、まず大人達が、何が起こっているのか、という事実をきちんと伝えてあげること、そしてそれを受け止めた子供達が何かを「感じ」、想像力を働かせて「考える」機会をつくってあげることだろう。イラクで一瞬の爆撃で家をなくしてしまったおばあさんはどんな気持ちだったのか?戦場の乾いてごつごつした土に腹這いになって銃を構えながら、アメリカの兵士達はどんなことを考えていたのか、爆弾によって両足をけがして寝たきりになってしまった男の子は何を思っているのか、そして、もっと身近なところでは、派遣された自衛隊員たちの家族は、どんな思いをしながら彼等の帰りを待っているのか。。。。そういうことに思いを巡らし、今の自分の生活とくらべてみること。そしてひとりひとりが考え、自分の意見を持つことが大切だと思う。

命の本当の大切さのわかる子ども達が大人になって、戦争を憎む気持ちを持ち続けてくれるとしたら、これからの世界はもう少しましな場所になっていくのでは、と僕は信じたい。