「バグダッドにて」

昨年の4月以来、一年半ぶりにイラクに戻ってきた。米軍の砲撃と、それに対抗する勢力による爆弾テロ。多くの一般 市民達を巻き込むこの暴力の悪循環によって、状況の泥沼化がすすんでいるのが実感できる。さらに頻発する誘拐事件によって、外国人である僕らはもとより、子供を持つ親たちもおちおち子供を外で遊ばせておくような状況ではなくなってきた。外国人誘拐と違って単にニュースにならないだけで、身代金目当ての子供の誘拐なども少なからずおこっているためだ。

西アフリカのリベリアで2週間の取材を終えた僕は、その足でイラクにやってきた。この国がこの1年でどう変わったかを自分の眼で見ておきたかったからだ。しかし実際にバグダッドについてみると、取材環境は予想を遥かに上回って悪化していた。多発する外国人誘拐のために、街を自由に動きまわって撮影することが非常にむずかしくなっていたのだ。記者たちも怖がってほとんどホテルからでようとしない。トリビューンはだいたい6週間交代で常時2、3人の特派員がバグダッドに滞在しているが、彼らもホテルに籠りっきりのままで、外に出るのは記者会見とか、安全な場所でのインタビューのときくらいだ。サダ・シティのような貧困地域は、もともと犯罪者が多い上に、それが反米勢力と結びつき政治色が濃くなって、いまや外国人にとって進入禁止の場所になってしまった。車に乗ったまま素通 りすることなら可能だが、カメラを首からぶら下げて通りを歩くことなど全くの御法度。

本当にそんなに危ないのかどうか実際に体験してみない限りわからないのだが、いくら頼んでみても現地のドライバー達が僕のような外国人を連れて行きたがらない。彼らがいうには、「お前と一緒にいったら、俺はまず撃たれて、お前は誘拐されて首を切られるのがおちだ」

記者達は爆弾テロやサダ・シティなどでおこる事件については、イラク人のアシスタントに現場で取材させて、それをまとめて記事にしている。彼らはそういう仕方でもとりあえずは仕事になるが、カメラマンはそうはいかない。現場にでなくては写 真がとれないから、爆弾事件などがおこると、僕は出かけていって撮影を続けていたのだが、しばらくするとシカゴの本社から予想もしなかったコメントがくるようになった。「あまりむやみやたらに外に出るな」これにはさすがに「???」「。。。それでは俺はいったいなんのためにここにいるんだい?」しかしボスがいうには、毎日爆弾事件の似たような写 真ばかり撮っていても編集会議でボツになってしまうし、それではわざわざ危険を冒して撮りにいく価値がない、ということらしい。そして、「とりあえず従軍しろ」という命令が下ってきた。

APなどの通信社カメラマン達はみなイラク人なので、僕の入っていけない地域からいい写 真を撮ってくる。それに対抗できない僕はインターネットにアップされた彼らの写 真を歯がゆい思いをしながら眺めることしかできないのだ。結局僕ら外国人カメラマンにとって残された取材方法は従軍ということになる。従軍すれば戦闘に巻き込まれる可能性は増えるが、少なくとも誘拐される心配はない。会社にしてみれば、誘拐よりも戦死のほうが割がいいのだろうか?従軍すると写 真も一方的な視点に偏ってしまうので、できればそれは避けたかったのだが、やむを得ない状況になってしまった。

従軍中は、早朝3時に出発し、16時間ぶっ続けの行軍でキャンプに戻ったのは夜の7時ということもあった。へとへとになっても、それに見合うような写 真などなかなか撮れない。そんなことの繰り返しだった。この2週間で、僕の写 真は4回フロントページに掲載されたので僕のボス達は喜んでいるが、自分ではとても納得できる写 真などは撮れなかったと思っている。

そんな訳でいろいろフラストレーションのたまる今回のイラク滞在だが、それでも街や村で出会う子供達と接するひとときはほっとできるものだ。戦場だろうが貧困地だろうが、だいたいどこの国でも子供達は無邪気なもので、僕のような外国人をみると興味津々で近寄ってくる。カメラを向けると恥ずかしそうにはにかむ少女たちや、逆に僕を撮ってくれ、とせがむ少年たちと身振り手振りで話していると、しばし時を忘れることがある。

イラクの人々は一般 的にとても親切だ。僕が今まで訪れた国のなかでは、おそらく最も親切な国民だと思う。田舎へ行くほどその親切度は強まるが、そんな農村部での米軍の作戦に従軍していたとき、一緒にいた若い米兵たちとしばし話をする機会があった。兵士達もイラク国民の大部分が善良な市民であることは理解していたが、米軍を狙って頻発する爆弾事件や砲撃の首謀者達を探すのに、地元の人達の協力が思うように得られないことに苛立っていた様子だった。彼らのうちシカゴ出身の米兵がこんなことを口走った。 「イラクの人達に、ニューヨークやシカゴのような都市をみせてやりたい。そうすれば、彼らも近代化や民主主義がどんなに素晴らしいものかわかって、俺たちに協力するようになると思うんだ」

この言葉はまさにアメリカの犯した過ちを代弁していると思う。ブッシュ大統領も、そして多くのアメリカ国民達も、この若い兵士と同じように、アメリカこそが理想の地だと信じているのだ。そして彼らは、そのアメリカの理想を与えることによって、貧しいイラクの人々が救われ、幸せになると考えている。確かに西洋化が進めば、生活は便利になるだろう。しかしその代わりに、貧富差や犯罪率は急増し、イラクの人々がもつ他人に対する思いやりや、暖かい心がすさんでいってしまうことも十分に起こりえるのだ。世界には様々な文化があり価値観の違いがある。アメリカの価値観を世界中に押し付けることなどそもそもの間違いだろう。

バグダッドの市民たちはこの戦争に対して複雑な気持ちを抱いている。僕の話した一般 市民たちのほとんどは同じようなことを言っていた。「サダム・フセインがいなくなったことは喜ばしいことだ。今では密告をおそれず自由に物が言えるし、テレビで衛生放送もみれる。それに携帯電話で誰とでも話すことができる。。。ただ、砲撃や爆弾テロで多くのイラク人が死んでいくことには堪えられない」と。彼らは、米軍がいる限り暴力の循環が続くと思っているが、かといっていま米軍が撤退すれば権力争いの内戦が勃発することも承知している。ジレンマにもだえる今のイラクには単純な解決策などありはしない。この国に平和がやってくるまでには、悲しいことだがさらに多くの血がながされることになるだろう。