「混乱のハイチ」 (その1)

「アリスティッド大統領が国外に脱出したようだ・・・」

朝食をとろうとホテルのレストランに下りてくると、同宿のジャーナリスト達の間からそんな噂が流れてきた。昨日までとは変わって、レストランの空気も何やら緊張に包まれている。市内の様子がどうなっているか確認しなくてはならない。。。食事もそこそこに、僕は顔なじみのカメラマン仲間数人とともにダウンタウンへと向かった。

大統領官邸の前には2、30人程の地元市民達が集まっていた。みな大統領脱出の噂を聞いて出てきたのだろう。怒りと困惑の混ざったような表情で、静まり返った白い官邸をみつめている。僕らが近付いていくと、一人の年配の女性が泣きながら狂ったように叫びだした。

「アリスティッド、5年!アリスティッド、5年!」

大統領の任期は5年だが、3年前に就任したアリスティッドにはあと2年の任期が残っている。そのため大統領支持派の人々の間では、アリスティッドに5年の任期をまっとうさせろ、という意味で、両手を開き5本の指を突き出すポーズをとりながら、「5年!」と叫ぶのが合言葉のようになっていた。

「アリスティッド大統領!どこへ行ってしまったんだあ!」

彼女につられるように周りの人々も次々に声をあげはじめた。突然どこから現われたのか、50人程の群衆が押し寄せ、近くにあるガソリンスタンドを襲い始めた。石で窓ガラスを叩き割り、店の中にある品物を片っ端から略奪しはじめたのだ。まるで砂糖に群らがる蟻のように、その数はどんどん増えていく。「パン、パンッ」乾いた破裂音が響きわたる。誰かが銃を撃ち始めたようだ。

「今日は荒れるぞ・・・」

そんなことを心の中でつぶやきながら、僕は略奪に夢中の群衆に向かって近付いていった。

世界初の黒人による共和国として1804年にフランスからの独立を果たしたハイチは、以後たび重なる内乱や外国からの政治介入によって、動乱の歴史をたどってきた。慢性的な政情不安定のために、現在この国は西半球での最貧国となっている。

30年以上続いた独裁政権の後、初の民主選挙のもとで1991年にアリスティッド大統領の政権が誕生したが、1年も経たない内に軍事クーデターによって大統領は国外脱出を余儀なくされた。その後米軍や国連軍の介入により軍部が退陣し、1994年にアリスティッドが帰還。その10年後にあたる今年、2001年に再就任したアリスティッド大統領の退陣を求め反政府勢力が再び反旗をひるがえしたのだ。北部の町を制圧し南下してきた武装勢力は、隆起から3週間程ですでに首都ポルトープランスを射程距離にいれていたが、大統領が退陣すれば首都への攻撃を行わないという声明を出していた。

そんな状況の中、ついにこの朝、アリスティッド大統領の国外脱出という事態がやってきた。血の気の多い若者達が中心になった暴徒達は、銀行やガソリンスタンドに放火し、手につく限りの店の品物を奪っていく。さすがに彼らにも一応は悪いことをしているという自覚があるのだろう、略奪者たちは写 真を撮られるのを極端に嫌がり、僕らに威嚇的な態度をとってくる。遠巻きに拳銃を撃ってくる奴も出てくる始末で、興奮する彼らをなだめすかしながら写 真を撮るのも一苦労だ。ほとんどファインダーを覗くことができないので、腹の位置までカメラを持ち上げて勘でシャッターを切っていく。

ダウンタウンは混乱に陥った。(次号に続く)