「リベリアの少女」

黒い肌にくるりとしたドングリ瞳が愛らしい女の子、ムス。今年で7歳になる彼女は近所でも人気のおてんば娘だ。一昨年の夏、間借りしていた難民施設の一室で、ムスはキリスト教信者である両親とともに日課となっている祈りを捧げていた。祈りを終えて家族が室をでようとした瞬間、屋根を破って飛んできた迫撃砲の砲弾が爆音とともに部屋を直撃した。吹き飛んできた破片は、最後に部屋を出ようとドア越しに立っていたムスの右腕を引き裂いた。

ムスが住むのは西アフリカに位 置する人口320万人たらずのこの小国、リベリア共和国。ここでは一昨年まで14年間にもわたって激しい内戦が続けられていた。

僕がはじめてリベリアを訪れたのは2003年7月、反乱軍が首都モンロビアまで眼と鼻の先というところまで攻め入り、戦闘が最も激しさを増した頃であった。毎日のように市内に撃ち込まれてくる迫撃砲と銃弾によって、死傷者は増加の一方をたどっていた。そんなある日の午後、数発の砲弾が市内の難民施設を直撃し、数十人が殺された。僕は逃げまどう難民達や、家族を失って悲しみにうちひしがれる人達にカメラを向けていたが、その混沌の中、幼い少女を抱きかかえた2人の男が通 りを小走りにやってくるのにふと気づいた。怪我した子供を運んでいるのだろうと思い近づいていくが、その少女の姿をみて僕は思わず息を呑んだ。肱の下からほとんどちぎれかけた彼女の右腕は、数本の筋のみでかろうじてつながっているだけだ。男達は、その腕が落ちてしまわないように木片の上にのせて一緒に運んでいた。この凄惨な姿に驚いた僕は、考える間もなく彼らを自分の車に乗せ、病院へと運び込んだ。写 真を撮るよりも先に被写体の手助けしたことなど、それが初めての経験だった。病院にたどり着き、少女が車から担ぎだされるときに、僕はかろうじて数枚シャッターを切ることができたが、ショックと恐怖のために大きく見開かれ、レンズを凝視していた少女の眼は、しばらく僕の頭から離れなかった。

それから1年が過ぎ、僕は再びリベリアを訪れた。 僕はムスをはじめとして、内戦で傷を負った子供達や、兵士として戦っていた少年達など、自分が写 真に収めた子達の安否をこの眼で確かめたかった。しかし、少年兵や他の子供達は比較的容易にその消息がつかめたのだが、ムスだけはなかなか見つからなかった。彼女を運び込んだ病院を尋ねても、彼女と母親の名前がかろうじてわかっただけで、どこに住んでいるかはわからない。僕の撮った写 真とともに新聞に人探しの広告をだしてみたが、何の情報もよせられなかった。リベリアでの滞在も1週間が過ぎ、そろそろ焦りを感じ始めていた頃、友人の提案で、ラジオで人探しの放送をしてもらうことにした。もうそれが最後の手段だった。

その日は朝からの大雨だった。ムスを探しに郊外にまだ残っている難民キャンプを訪れているとき、携帯電話に連絡が入った。

「ムスが父親につれられてラジオ局にあらわれた!」

嬉しさにやや興奮しながらラジオ局に駆けつけた僕に、ムスは飛びついてきた。どうやら彼女は僕のことを憶えていてくれたようだ。肱までしかない右腕で僕に抱きついてきた彼女は、まるでその傷跡を触ってほしいかのように僕の手をとってしきりにその右肱に充てがってくる。それは骨張った肱とまるで握手をしているような不思議な感覚だった。 ムスは右手が不自由なことなど全く感じさせないほど明るく活発な少女だった。近所の子供達と遊んでいるときも、一番おてんばなのが彼女だった。それも男の子を泣かせてしまうほどのやんちゃぶりだ。さらに、ムスは僕がいままで出会ったアフリカの子供達のなかでもまれに見るほど頭のいい子だった。右手を失ってから、彼女は左手で文字を書くことを練習し、いまでは自由に文字も書けるようになった。ムスの家族が間借りしている部屋の壁には小さな黒板が掛けてある。この黒板に向かって、ムスは毎日文字書きを練習しているのだ。

元気に暮らすムスに再会して、僕はとりあえずは安心したが、状況はそう単純ではない。ムスの家族は、この国の大部分の国民がそうであるように極貧に喘いでいた。ムスを学校に行かせるどころか、その日の食事にも事欠くほどなのだ。 長年にわたって続いた内戦によって、この国の経済は完全に破綻した。市内の交差点にはもう10年以上も機能していない信号機が墓標のようにそびえ立ち、破壊された電力施設の復旧の見通 しは立っていない。夜になっても発電機を持っている家庭や店舗からの光が細々と通 りを照らしているだけだ。戦闘が終わって1年以上がたつ現在も、ほとんど仕事もない状況の中で多くの国民達がその日暮らしを続けている。 正直なところ、リベリアの子供達にとって、この国の未来はあまり希望の持てるようなものではないだろう。特にムスのような場合、女性であることに加え、片腕しかないということで、保守的なアフリカ社会では極度なハンディを背負うことになる。高い教育を受けることによってのみ、彼女は自立し、救われるといっても過言ではない。 この国では80ドルあれば、子供達は制服代も含めて、そこそこのレベルの私立学校に1年間通 うことができる。単純に月割りしてもひと月7ドル以下だが、多くの家庭はその程度のお金さえも工面 することはできないのだ。

僕の撮ってきた写 真が、リベリアの将来をすこしでも良い方向にむけるように役立たせることができればと考える。しかし、そのためにかかる時間を待つことのできない現実もある。リベリアを去る間際、僕はムスの両親に学校の授業料を託してきた。何かの縁で巡り会ったムスに、今の僕がとりあえずしてあげられることはこれくらいのことだった。