「ハイチ、シテ・ソレイユに一筋の希望か」


2004年2月、ハイチの首都ポルトープランスは混乱を極めていた。
反政府武装勢力によるクーデターにより、当時の大統領だったアリスティッド大統領が国外に脱出すると、市内至るところで暴動が勃発。倉庫や商店は略奪され、犠牲者の数は日に日にその数を増していった。屍のうず高く積みあげられた病院の死体安置室での惨状は、いまでも瞼に焼き付いて離れない。

それから3年がたった今年4月、再びこの国を訪れた。

再三延期されてきた総選挙が昨年ようやく施行され、プレヴァル大統領と新内閣が発足。ハイチの安定化を図り投入された国連軍の働きもあって、ポルトープランスはすっかり落ち着き、街は活気に満ちていた。

なかでも、貧困層の密集するシテ・ソレイユは、大きな変化を遂げようとしていた。これまで何年にもわたり複数のギャング組織によって仕切られ、犯罪の温床として悪名を馳せていたこの地区から、ギャングがほぼ一掃されていたのだ。

ダウンタウンから3キロほど北にあるシテ・ソレイユはもともと、デュバリエ独裁政権時代の1960年代にポルトープランスの街外れにつくられた労働者の住居地区だったが、首都の人口増加とともにその規模は膨れ上がり、ハイチの貧困を象徴する巨大スラム街へと変わっていった。

1990年に貧困層の絶大な支持を集めて選出されたアリスティッド大統領は、就任後1年も経たないうちに軍事クーデターにより失脚、国外に亡命したが、3年後の1994年に復権。再度のクーデターを恐れた彼は、彼の支持基盤であるシテ・ソレイユを中心とした貧困層に銃を供給し、民兵を組織した。その民兵たちが、近年ギャング組織となってそれぞれ縄張をもつようになり、シテ・ソレイユは殺人、誘拐、レイプ、ドラッグなどの絶えない、「ハイチで最も危険な場所」とよばれるまでになってしまった。

そんなシテ・ソレイユから、昨年末から今年2月にかけて、ブラジル軍を主にした国連軍が武力作戦を遂行し、ギャングのメンバーら400人以上を逮捕し、組織をほぼ壊滅に追い込んだのだ。

「以前はこんなところにゆっくり座っていられなかったよ。ギャング同士の抗争で銃弾が飛びかってたからな。。。俺の伯父も3年前にギャングに殺されたんだ」
路上にできた青空市場で、電話貸し出し業を営む男はこう言った。

マーケットの並ぶ目抜き通りは人で溢れ、ギャングのいなくなったシテ・ソレイユは平和を取り戻したようだ。これまで長年ハイチに関わりながらも際立った成果をあげることができなかった国連軍にとって、今回のギャング一掃作戦の成功は、初めてスラムの住民たちに現実的な希望を与えるものになったといえる。

しかしその反面、貧困に喘ぐ住人たちの生活状態は相変わらずだ。人口40万人のシテ・ソレイユのなかでも最も貧しいといわれるティ・ハイチ地区では、住民の多くが水も電気もないブリキ板の掘っ立て小屋で生活しており、海から流れ込む小川はゴミで埋め尽くされている。日々の食料にも事欠き、非衛生的で劣悪な生活環境の中で住人たちは生き延びることを強いられているのだ。

失業率70パーセント、人口850万の半数以上が一日1ドル以下で生活しているといわれる西半球の最貧国、ハイチ。治安を保っている国連軍がこの先いつまでハイチに留まるのかは未定だし、ギャングが再び巻き返してこないという保障もない。現在でも国内には20万にもおよぶ違法な銃器や武器が流布しているといわれており、はびこる麻薬密輸なども深刻な問題になっている。

ギャングの再来を防ぎ、シテ・ソレイユ住民達の生活向上のためには、治安の安定したこのチャンスに就労機会を増やし、貧困対策を早急に進めることが必要だ。そのためには国外からの援助が絶対不可欠になってくる。

シテ・ソレイユでの学校や医院の建設や道路整備に向けて、今年4月に2千万ドルの支援を約束したアメリカをはじめ、カナダ、フランスなどが現在の主要な援助国となっているが、自動車や電化などの日本製品はハイチにも多数輸入されているし、また民間レベルでの日本との文化交流も少なくはない。これから日本政府が主体となった援助の増加が期待されるところだ。