「暗澹たるソマリアの将来」

(Days Japan 2008年1月)

アフリカ北東部に位置し、その尖った国土の地形から「ホーン・オブ・アフリカ(アフリカの角)」とも呼ばれるソマリア。

1991年の内戦以来国土は分断されたまま、暫定政権が存在するものの事実上の無政府状態が続いてきた。

昨年(2006年)6月イスラム法廷会議(ICU)が首都モガディシュを含む南部地域を制圧し、治安面では一時的に安定が訪れた。しかし、イスラム原理主義政権とアルカイダとの結びつきを恐れる米国の後ろ盾によって、隣国エチオピアがモガディシュに軍事侵攻しICUを掃討、今年1月には暫定政権軍はモガディシュを奪回した。いったん敗走したものの、イスラム原理主義者の武力抵抗は現在も続き、連日のようにおこる爆弾テロや銃撃戦、暗殺のために、市民を含めた多数が犠牲になっている。

誘拐や爆弾テロのリスクの高さから、すでに「バグダッド化」しているといわれるモガディシュは、ここ半年ほどほとんど外国のジャーナリストが足を踏み入れることのない、いわば、国際報道から見捨てられた土地となりつつある。

僕らの取材活動も、3人のボディーガードを雇いながら、ホテルの外にでられるのは朝の7時から午後4時までという制限がついた。銃撃や爆弾テロの頻発する街の最大市場であるバカラ・マーケットなどには、外国人はあまりにも目立ち、即座に攻撃の対象になるということで立ち入ることさえも許されなかった。

街の中心部シャンガーニ地区。90年代初めの戦闘でほとんど破壊しつくされた建物はそのままになっている。近くにある路上市場に向かう通行人達を除いて、人の姿はまばらで、まるでゴーストタウンのようだ。それでも瓦礫となった建物を寝床にする避難民達の姿をいくらか眼にすることがあった。戦火を逃れて廃墟に身を隠す人たちだった。

戦いが激化するにつれて、モガディシュからの避難民は続出し、郊外につくられた難民キャンプの人口は爆発的に膨れ上がった。

ハワ・アブディ・キャンプも、そんな難民キャンプのひとつだ。ここで医者として17年間働いているソマリア人のハワさんにちなんで名づけられたこのキャンプには、現在5500以上の家族が生活している。多くは女性や子供、そして老人たちだが、住人達には十分な食料がいきわたることもなく、幼い子供たちの間に栄養失調が蔓延している。

こんな難民キャンプでさえも、暴力に晒されるようになってきた。今年の9月に、25人ほどの政府軍の兵士達がキャンプの食糧配給所を襲撃にやってきたというのだ。

武装したキャンプの若者達が応戦し、幸い怪我人もなく兵士達を追い払うことができたが、力のない難民までもが政府軍の兵士達に襲われるというこんな状況にハワ医師は絶望した。

「これまでの17年間、いつかは平和が訪れるだろうとじっと願ってきました。しかし、状況は悪くなるばかり。。。いまは最悪の時期にきているような気がします」

反政府のイスラム武装勢力が力を盛り返してきている現在、エチオピア軍の後ろ盾なしには現在の暫定政権は1ヶ月も持たないといわれている。さらに暫定政権内部でも、大統領と総理大臣との間の対立が深まっており、事態は一触即発の状態だ。

単一民族でありながら、伝統的に氏族(クラン)を中心とする秩序の中で形成されてきたソマリア人社会。氏族間の勢力争いが絶えることがないうえに、常に大国の思惑に翻弄されてきた歴史を持つ。イギリス、フランス、そしてイタリアの保護領にされた後、冷戦時代にはソ連、アメリカ双方から干渉を受けているし、戦火を交えた隣国エチオピアとは犬猿の仲だ。中央政権というものに信頼を置かない氏族のリーダーたちが、自己の利益を妥協しながら一つの国家としてまとまることは非常に困難だと考えられる。

「もう希望もありません。。。誰もこの状況を理解できないし、誰も助けることができない。。。もうこの国をでていくことも考えています」

ハワ医師のこの言葉は、暗澹とするソマリアの未来を示唆しているかのように思えた。