「アンピュティー・サッカー選手たちの生活 - リベリア内戦後5年の現状」
(週刊金曜日 2008年10月)
リベリアの首都モンロビア。街の中心部から車で10分ほど離れたメインロード沿いの空き地で、一風変わったサッカーチームが練習をおこなっていた。フィールドでボールを追いかけている選手たちはみな松葉杖をついている。ゴールキーパは片腕を、残りの選手たちみな片足を失っていた。アンピュティー(身体の一部を切断された人)サッカー・チームのプレーヤー達だった。
「アフリカの脇下」とも呼ばれる多湿高温の西アフリカに位置する、人口350人ほどの小国リベリアは、19世紀初めにアメリカで開放された奴隷達の「入植地」として発展し、1847年にアフリカ大陸初の黒人共和国として独立建国した歴史を持つ。しかし1989年から14年以上にもわたり続いた内戦により経済は完全に疲弊。激しい戦闘により20万人以上が犠牲になったが、さらにこの内戦は国内に1万5千人以上の子供兵たちを生み出した。
アンピュティー・サーカーチームの選手たちも、その多くが10代そこそこのうちから民兵として戦ってきた「元少年兵」たちだ。戦闘中に被弾し、足や腕を切断する羽目になった。
内戦が終結してから今年でちょうど5年になる。2005年に戦後初の民主選挙でアフリカ初の女性大統領として選出されたエレン・ジョンソン・サーリーフが手腕を揮い、少しづつながら国内情勢は回復しつつある。しかし、失業率80パーセント以上ともいわれるなかでの改革は容易ではない。国民の大多数が貧困に喘ぐなか、身体に障害を持つ人達の境遇はさらに厳しい生活を強いられているのが現状だ。
これはアンピュティー・サッカー選手たちとて例外ではない。 今年4月に首都モンロビアで行われたアンピュティー・アフリカン・カップでリベリアは優勝、今年度のアフリカの王座に輝いた。チームからは最優秀選手(MVP)とベスト・ゴールキーパーが選出され、国民の間でも彼らの知名度は上昇した。いわば国を代表するヒーローともいえるはずの選手たちだが、それとは裏腹に彼らの日常生活は暗澹たるものだ。
プレーヤーの多くはホームレスで、廃墟を住処にしたり、知人の家に居候している状態だ。マットレスはおろか、スポンジさえも買うことの出来ない彼らは、ダンボール一枚を敷いた地面に身を横たえ夜を過ごす。日中は朝から晩までスーパーマーケットの前で、買い物客を目当てに物乞いをしながらかろうじて食べ物にありつけるといった有様だ。
「良くなったのは周囲の俺たちを見る眼が少し変わったということかな。。。以前は虫けら同然の扱いだったのが、カップで優勝して少しは名前を知ってもらえるほどになった」
アフリカン・カップでMVPに選ばれたジョセフはこう言った。
「だけど生活は以前と変わらない。毎日物乞いをしなくては食べることもできなやしない」
アフリカン・カップやワールド・カップ出場のために、昨年チームは隣国のシエラレオネを始め、ロシアやトルコにまで遠征しているし、今年もイングランドやアメリカでの試合が予定されている。国民の多くにとって海外に出ることなど夢のまた夢といった環境のなかで、一見すると選手たちの生活は華々しいようにも思えるが、これも試合期間中に限ってということに過ぎない。
協会に寄付や協力金が入っても、その運営費や試合のための渡航費や宿泊費に使われるだけで、選手個人にはほとんど全く報酬などはいってこないのが実情だ。だからワールド・カップなどの期間中はまともな生活ができても、それが終わってしまえば、何の保障もない選手たちは皆路上に投げ出されることになる。
「実際にプレーしている俺たちには何の報酬もはいってこない。妻や子供もいるっていうのに、これでは物乞いするしか生き延びる道はないんだ。他国の選手はみなそれなりの生活が保障されているっていうのに。。。ロシアの選手なんか、障害者用の車を乗り回していたよ」
2006年のチーム創立時のキャプテンであったジミーは、あからさまに不満を口にする。
まずは経済の建て直しが優先政策の政府にとって、障害者のための福祉向上やスポーツ振興まではなかなか手が回らないのが現状だ。チームに民間企業のスポンサーがつかない限り、選手たちのプロ化はおろか、物乞い生活からの脱却さえも難しいだろう。
「それでもサッカーを辞めることはできないんだ。サッカーを通して人々を俺たちを認めてくれるようになったし、なによりもプレイしているときだけは何も考えずにハッピーでいられるからな。。。」
