「虐げられた森の小人・ピグミーたち」
(Days Japan 2010年8月)
まだ朝もやの晴れきらない午前7時前、藁葺きでつくった粗末な小屋の前で女子供が木炭の入った火鉢を囲んで腰を下ろしている。朝食の用意をしているらしい。しかし覗いてみると、その火鉢の上で焼かれているのは、わずかな芋のかけらばかりだ。
「食べるものもない。仕事もない。金もない。ここの生活は苦しいよ」
集落の長であるショナは言った。
コンゴ民主共和国(以下コンゴ)東部、ルワンダとの国境沿いに位置する都市ゴマの郊外おそよ15キロのところに、このピグミー族のキャンプがある。ここには現在、森林部から逃れてきたピグミー40家族ほどが住んでいる。
ピグミーは、主に中央アフリカ全域の熱帯雨林に住む狩猟民族で、同地域の人口はおよそ300万人。平均身長が150センチ以下と小柄なことが、「森の小人」などとも呼ばれる所以だ。
1994年に隣国ルワンダでおこった大虐殺を発端にしたツチ族とフツ族の対立が飛び火し、政情不安定となったコンゴは1998年に内戦に突入。その後同国に豊富に埋蔵される資源を巡り周辺諸国7カ国が入り乱れて、アフリカ近代史における最大の資源争奪戦となった。2002年の和平成立後も散発的に戦闘は続き、2008年までに戦闘および飢饉、病気により500万人以上が死亡したといわれる。
戦闘はピグミーの住む森林部にも及び、彼らの多くは戦火を逃れるためか、もしくは90年代半ばからはじまった政府による森林保護政策によって、森林から強制的に立ち退かされた。伝統的な住処を失った彼らは、他の避難民たちと同様に、キャンプでの生活を余儀なくされることになった。
森を追われたそんなピグミー達を待ち受けていたのは他部族からの差別であった。コンゴではピグミーを未開人として蔑む風潮が根強く残っており、都市部に避難してきたピグミーたちが、仕事や教育の機会を得ることは非常に難しい。
「彼らは我らピグミーを『ブッシュマン』と呼んで蔑むのさ。食堂や市場にいっても、あっちへ行け、と追いやられる。他人と同じように扱われるのは教会のなかくらいだ」
キャンプに住む22歳のカシワは不平を漏らした。
彼らにとっては、時折ありつくことのできる草刈りなどの日雇い労働か、木炭の製造くらいが限られた収入源だ。しかし現在は政府によって木の伐採が禁止されているので、炭の材料となる木を集めることも難しい。逮捕の危険を犯し、人目を盗んで山に入らなくてはならない。 木炭を売ることができなくなれば、わずかな収入さえも得られない。
もし可能なら森林での生活に戻りたいか、と問いかけた僕にショナはこう答えた。
「もう戻れないよ。暮らすのに必要な動物もいなくなってしまったし、何より町の生活に慣れてしまった今では、原始的な狩猟生活に戻るのは難しい」
長年続いた戦闘によって、人間のみならず森に生息する動物も激減した。こんなところにも内戦の傷跡があらわれている。
「だけど、やっぱり自然の中での暮らすことが恋しくないかい?」僕がたたみかけると、今度はすこし意外な答えが返ってきた。
「もし、他のコンゴ人たちも一緒なら、森林の生活も悪くはないだろう。だけど、すでに開発された社会を知ってしまったいま、我らピグミーだけが森のなかに隔離されるのはごめんさ」
彼の言葉には、強制的に「文明社会」に露出された恨めしさと、その社会で露骨な差別をうけるピグミーの葛藤が滲み出ていた。未開の原住民族などの「現代文明化」に対してよく議論されることだが、彼らピグミーにとっても、外の世界など知ることなく、森の中で伝統的な狩猟生活を続けられていれば幸せだったのかもしれない。
森林部では依然として散発的な抗争が続いているにせよ、「一応」内戦は終結し、新政権を決める選挙を来年に控えるコンゴだが、ピグミーのような少数民族に対する救済措置が政府内でほとんど議論されることはない。下級市民の如き扱いをうけるピグミーの存在など、政治家の眼中にはないのだろう。これは、「他の議事で忙しすぎる」と、4月中旬にコンゴで開催が予定されていた「ピグミーの権利国際フォーラム」をキャンセルした政府役人の言葉にも端的にあらわれている。
虐げられた少数民族であり、政治的影響力も持たない彼らは、自身の生活向上のために立ち上がるためには、あまりにも非力だ。
ショナの言葉は彼らの境遇を端的に言い表しているように思えた。
「私たちは内戦と政府によって森から追い出されて、そのまま見捨てられたようなものさ」
