「パキスタン、銃製造工場」

(フライデー 2010年7月)

案内役のパキスタン人男性は、緊張した面持ちで何度も私に念を押した。

「いいか。俺がいいと言うまで、絶対に英語はしゃべるなよ」

イスラム教原理主義武装勢力タリバンと関わる〝銃工場〟がある、パキスタン北部のダラ・アダム・ケル(以下、ダラ)という小さな町へ向かう車中でのことだ。この町は、アフガニスタンと国境を接する北西辺境州の州都ペシャワールから、車で南に40分ほどのところにある。タリバンの支配地域で、外国人の立ち入りは禁止。案内役の男性によると、「英語を話して外国人とバレればどんな危険な目に遭うかわからない」という。私はあらかじめ用意した地元民の伝統服シャルワール・カミーズに白いイスラム帽をかぶり、目立たぬように〝銃製造現場〟に潜入した。

01年9月11日の米中枢同時テロの直後からはじまったアフガニスタンにおける米国の対タリバン軍事作戦。すでに8年以上の月日が経ちながらもタリバン撲滅はままならず、状況は泥沼化している。
こうした先の見えない現状を打破するため、米国のオバマ大統領は軍を増強。今夏には15万人を投入し、タリバンの拠点であるアフガニスタン南部カンダハルで大規模掃討作戦を実施する予定だ。
だがオバマ大統領の強気な戦略にもかかわらず、タリバン側は反撃の手を強めている。6月のアフガニスタン駐留外国軍の月間死者数は102人にのぼり、過去最悪となった。米国の支援をうけ昨年はじまったパキスタン国軍の対タリバン作戦は一定の成果をあげたものの、以前として国境付近における戦闘はつづいている。

私がペシャワールで冒頭の案内役の男性に出合ったのは、6月中旬のことだ。彼はタリバンの武器を作っているダラ町の長老を知り合いだというので、同町への案内を頼んだのである。ダラ町をよく知る別のパキスタン人はこう解説した。

「ダラは、昔から武器の製造が盛んな町です。以前は、対空砲などの重火器を作っていたこともありました。銃製造職人の腕は良く、手作業で精巧な銃を作っています。どんなモデルの銃でも模造可能です。この町では、一日に700丁もの銃が作られているそうです。職人たちはタリバンに密造した武器を供給していますが、彼らはタリバンではありません」
 
職人はタリバンでないとはいえ、ダラはその支配下にある危険地域だ。
私たちは町に着くと、まず長老のいる事務所に目立たぬように入った。だが事務所はメインストリートに面していて、人通りが多い。多数の通行人が、見知らぬ私たちに怪訝そうな鋭い視線をドア越しに投げかけてくる。この前日、弾丸の取引をする男がひとりタリバンによって首切り処刑になった、と長老が語った。上納金を納めなかったからだという。

バババババ! 突然、小銃の連射音が響いたのは、勧められたお茶を飲んでいた時のことだ。驚く私を見て、長老が言った。

「職人たちが作った銃の試し撃ちですよ。心配いりません」

その後、案内役が「銃の製造現場を見せてほしい」と頼むと、事務所の向かいにある銃店舗の店主を紹介された。店内に飾られた4丁のオリジナルモデルのライフルは、銅に彫刻が施され美しい。

〝製造工場〟はその店の裏にあった。旋盤、研磨、ネジ止めなどの行程ごとに部屋が別れている。それぞれの部屋は4畳ほどの広さで、5~6人の職人が詰めて作業に励んでいた。自動小銃の部品などが乱雑に置かれ、大型の旋盤機も5台ほどある。職人は20代~40代の男性たちが中心だが、中には10代の少年もいて、みな無言で黙々と働いている。職人たちは突然の来訪者に驚いていたが、案内役が私を「日本から来た友人」と紹介すると、「日本の旋盤機は性能がいい」と意外にも友好的な態度を示してくれた。

しかし、和やかな雰囲気もつかの間。店主から許可をもらい部屋や職人たちを撮影していると、10分もたたないうちに長老の使いの男性がやってきて、緊迫した空気が流れた。「早くここを去れ!」彼は緊張した面持ちで僕らを促す。どうやら僕らを見かけた通行人がタリバンに知らせたらしい。私たちは慌しく車に乗り込み、急いで町を後にした。

このような武器の密造は多くの町でおこなわれており、タリバンをはじめとする武装勢力への供給元ともなっているのだ。